「的山」を「あづち」と読む由来(あづち大島ジョグトリップ関連情報)
「あづち大島ジョグトリップ」の予備知識。
平戸市北部に浮かぶ島「的山大島」。「まとやまおおしま」ではありません。「あづちおおしま」と読むんです。
なぜ「的山」を「あづち」と読むのか?
【要約】
弓場で的をかける山(的山)を作るために、土を編んだ(あづち)。
これが一つになって、的山を「あづち」と読むようになった。
以下、「広辞苑」と「大島村郷土史」から引用。
「広辞苑」
あずち(あづち)【垜・堋・安土】
弓場で、的をかけるために土を山形に高く盛ったもの。的山。南山。
「大島村郷土史」p.44~p.45
平安時代の承平年間(931〜937)、源順によって成立した、当時の百科事典とでもいうべき「倭名類聚抄(わみょうるいじゅうしょう)」がある。
この中で「射垜(しゃだ)(いわゆるアヅチのことである)」の項を見ると「以久波止古路(いくはどころ)」または「阿無豆地(あむつち)」ともいい、堋(あづち)の字を用い、この字の音は「ホう」である。「垜(だ)」の訓は「以久波止古路(いくはどころ)」である。
また「的」は由久波とよんでいるが、「伊(い)」は「由(ゆ)」に通じる音であるとしている。
「阿無豆地(あむつち)」は急には「阿豆知(あづち)」ともいい、「編土(あむつち)」である。
「日本書紀」仁徳記によれば「的(いくは)」ともされ、また「的所(いくはどころ)」を「あづち」といっていたのである。
---(略)---
これらの「あづち」はおそらく、土をはこび、それをたたきつけ、たたみあげながら構築していったものと推測され、その作業行程が土を編んでいたから「編土(あむつち)」と称されるようになり、やがてその音がつまって「あづち」とよんだものであろう。
こうした射技(しゃぎ)が、的山(あづち)のどこか一定の場所で、神事、武技、遊技のいずれにせよ定期的に催されていたものではなかろうか。その場所名が拡大して呼称されるようになり、やがてはこの集落全体を「あづち」といい「的山」をあてるようになったのではなかろうか。
なんと!由来が日本書紀にまでさかのぼるとは、おそるべし「的山(あづち)大島」。織田信長が作った安土城の「あづち」も同じ由来なんですね。
さて、予備知識も仕入れたところで、「あづち大島ジョグトリップ」をたっぷり楽しんでください。