決めてほしいという欲求
- 2015/07/23 04:40
- カテゴリー:言の葉お便り
「指の長さで性格判断」を見ても、「血液型占い」を見ても、「この仕事はなくなる」という記事を見ても、「私をどっちかに決めて!」という強い欲求があるなぁと思います。
自分をある型に嵌めてもらって安心したいというのは本能なんでしょうか。
親はこうあるべき、子どもは、夫は、妻は、上司は、部下は、営業マンは、売り子は、買い手は、人はこうあるべき。
その方がいろいろ考えなくてもいいもんね。頭使わなくてもいいもんね。判断を常識や世間やマスコミにお任せしちゃった方が楽だもんね。
すべてのことについて一つ一つ考えて判断して行動するなんて、無理。日常生活に支障をきたします。
ドアノブはなぜ引かずに回すのか、水道栓を回すと水が出てくるのはなぜか、靴下を履くために最も効率的な方法はなにか、今夜の食事でどういう栄養を得ようとしているのか、なんて考えてたら何もできません。
ある程度オートマチックに惰性でルーチンワークで型枠どおり行動して初めて日常生活を送れるのです。
そんなもんだと思っておこう。脳は怠け者。自分の型枠でしか考えることができない、判断することができない。自分の型枠がなければ、決めてほしい〜!
敵か味方か、身内かよそ者か、損か得か、もハッキリしておいた方がいい。
獣や殺人者から襲われそうになって、「相手の心理状況は?真意は?理由は?対処すべき事由は?」などと考えていたら、殺されます。即逃げないと。
ある程度、本能に従っていたほうがいいみたいです。ある程度。
でも、本能に従ってばかりいるとちょっとおかしな時もあるということも分かっておいた方がいい。本能時の変。